東京の街が奏でる 第五夜、第八夜レポート

東京の街が奏でる

(ネタバレ満載です。読みたい方のみどうぞ。)

甘美、祝祭、希望、光。
時の交差。記憶に刻まれる「時」。
難しい時に向き合う意味。東京オペラシティ。

不規則なリズムを打つ、いくつものメトロノームが少しずつ一つになってゆく。メトロノームが象徴する、いくつもの交差する「時」がひとつになり「今という時」を打つ。音響の美しいホールに、均等なメトロノームが刻まれる。そして、これから小沢健二のコンサートが始まるんだ!という気持ちが緊張感に変わる。

会場が暗転し、ほんの少しの、やわらなかスポットライトの中で浮かび上がる誰かが「いちょう並木のセレナーデ」のオルゴールを奏でる。やわらかな空間の中にひろがる、甘い痛みのようなオルゴール。いつか聴いた「ライフ」のラストトラックで切なさを感じたように、そして、あまりにも優しいその音に涙がこぼれそうになる。

僕は、第五夜、そして第八夜に参加したのだけど、このオルゴールを奏でたのは、それぞれ、チャットモンチーと東京スカパラダイスオーケストラの沖裕市さんだった。毎夜、このようにゲストが呼ばれ、日替わりでオープニングモノローグが語られる。それは、生きて行く上で必要なことと、音楽のかかわりについてだった。生きて行くのに必要なのは、衣食住であるということ。そして、音楽はなくてもよい、贅沢な、遊びであるということ。でも、音楽が鳴っている限り、僕らは希望を持つことができる、ということ。

この「時」と「希望」が今回のコンサート「東京の街が奏でる」の最重要キーワードだと思う。そしてそのキーワードは散りばめられたピースのように「我ら、時」そして「展覧会」「ひふみよ」に全てが繋がっている。それを上手く論じることは僕にはできないけれど、例えばコンサートでの朗読や「うさぎ!」に書かれている言葉を、ジグソーパズルのように組みあげれば、それは一つの絵になるのではないか?と思う。でも、その「絵」というのは人それぞれ。難しく捉える人も居るだろうし、「なあんだ!こんなに簡単なことだったのか!」と思う人もきっといる。そして、僕は後者の意見に近い。

ゲストによるモノローグが終わると、もう一度、オルゴールを奏でる。音楽は贅沢で、遊びであるけれど、希望を持つ事ができるというモノローグの後に再び聴くオルゴールのメロディは、とてもあたたかく、そして強烈に切ない。人生はたったの一度きり。過ぎてゆく日々を、踏みしめて僕らは行く。

オルゴールの演奏が終わると、闇の中、雷鳴が轟く。嵐の音。そして、ステージ後方にある影絵の仕掛けに「稲妻」の模様が映し出される。そして、小沢健二が登場する。あまりにも自然に登場する。それは、なんというか、近い存在である小沢健二だ。ひふみよ以降、彼の存在をとても身近に感じるのだけど、もうほとんど、旧友に久しぶりに会うような感覚。ああ、なんだか久しぶりだね、という感じすらするのだ。最初の緊張が嘘のように。

そして、モノローグが始まる。ガリレオ・ガリレイによる振り子について。時を均等な間隔で分割する振り子時計について。その応用であるメトロノームについて。ヨーロッパで生まれたメトロノームというテクノロジーは、200年後のここ東京で、どんな振れ方をするのか?ということを問う。

第八夜は、この後「愛と憎しみの果てに」という捕鯨問題とゴシップについてが語られた。これについてはここでは割愛。他の記事で書くかもしれません。

そして、モノローグが終わると、アコースティックギターをかかえ、椅子にすわり、メトロノームのリズムにあわせ新曲「東京の街が奏でる」がはじまる。最初の感想は、なんて素敵なメロディなのだろう、と。そして、あまりにも美しい歌詞が聴こえる。

「眠りにつけない愛ながれる川にいつか優雅さは 惨めさの手をとり 空へ昇る 高熱放つ 炎に変わる 見つからない何か探す 僕らを照らす」
「恐れることなく滝へ降りてく鹿たちのように 尊き時に蹄を鳴らす」(歌詞完璧ではありません)

この曲の優雅さという言葉、そして、照らす、尊い時、という言葉は、コンサートクライマックスで歌われた「ある光」に続くのではないか?と思う。更に言うのならコンサート中盤でのモノローグにあった「ビリーバー」で語られた「信じる心、信じる」ということも「ある光」に集約されるのではないかと思う。

ステージで「東京の街が奏でる」を演奏する小沢健二により、メンバーが呼ばれる。真城さん、キタローさん、そして弦カルテットのみなさん。書き忘れたけれど、このコンサート、ドラムがいない。リズムは全てメトロノーム。それだけ。恐ろしく新しいフォーマットでのコンサートだった。

曲は全てのメンバーが集まったところで「美しさ」へ。ひふみよの時に聴いたように、タモリが「あそこまで人生を肯定できない」と言うように、強烈なソウルを、パッションをみせる。そして美しいストリングス。僕らはこの曲を、発表当時、そして刹那発売当時、小沢不在時、どう聴いただろう?そしてあまりにも圧倒的だった「ひふみよツアー」ではどう響き、彼の言葉をどう捉えただろう?色々な見方があると思うけど、僕は、例えば刹那発売当時は「二度と戻れない日々にいることへの、美しさに対する願い」というように捉えた。だけど「ひふみよ」で考えが変わった。この歌は、僕らを包む世界の美しさへの賛美であると。その美しい世界が僕らの住む場所なのだと。そして、それは「時」という時間軸によって繋がっている。全てが。だからこそ、ひふみよの読み物で語られた、この言葉を思い出さずにはいられない。

「ああ、何という時。何という、時と空間」~ロス・アンヘルス、天使たちの街にて


クラシカルなアルペジオにより、イントロではどの曲かまったくわからなかったほどの「ドアをノックするのは誰だ」、第八夜では、男の子の歌が良かったと小沢健二が言った「いちょう並木のセレナーデ」(このコンサートでは曲によって、女の子、男の子にパートを分け、観客に歌わせる場面がいくつかある)。まさかの小沢健二のラップ(と言っていいのかわからないけれど)を楽しめる「今夜はブギーバック/あの大きな心」。ここまでを最初のモノローグ以降一気に演奏する。ひふみよサイトで言われたように、甘美ないちょう並木であるとか、全体のアレンジであるのだけど、非常に力強さに満ちていることがわかる。本当に「俺の魂をみせてやる!」ってくらい、戦っている歌だ。(この戦っている、というのは僕の友人が言った言葉なのだけど、非常に的確な意見なので引用することにした。またMCで小沢が発した「なんか戦う感じがほしくて」と紹介した手裏剣模様についての話と大きくかぶる)

そしてメンバー紹介。カルテットのみなさんを、丁寧に紹介する小沢健二。このコンサートの中核を担うカルテットを、熱心に紹介する。本当に美しい「時」だ。こんな「時」がつながってゆくのが人生だ。美しい。

そして、モノローグ「小走り」。小走りは、日本独特の動作であり、謙虚さと労り、相手に尽くすことを示す、美しい動作であるということ。アメリカでの横断歩道の話。横断歩道を渡る、小沢健二と黒人の話。信号がかわりそうな時、小沢は「ちょっと急いで」横断歩道を渡ろうとする。そうやって、日本人は自分は良い人だと示そうとするが、黒人は急がないということ。それは白人権力に対する黒人権利の主張であるということ。奴隷であった歴史に、堂々と抵抗し、そして勝ち取った権利を見せつける。でもその黒人の友人も、その後、小走りに目覚めたらしい、という内容。

このあたりのくだりは、うさぎ!にも似たような事が書かれている。やはりピースが散りばめられている。ゆっくりと、ひとつずつ集め、心に刻みたいと思う。

曲は、エクレクから「あらし」へ。ひふみよでの「麝香」の時もそうだったけれど、囁きでない歌い方、絞り出すような、熱のこもった今の小沢健二の歌い方で聴くと、やはり聴こえ方が全然違う。さらに「いちごが染まる」「それはちょっと」と続く。あまりにも美しい弦カルテットの音。この音はオペラシティならではなのだろう。特に「いちごが染まる」の弦は美しいなんてもんではなかった。そして、演奏中、音の隙間にあらわれるメトロノームの音に「時」を感じずにいられない。

カルテットをはじめとする、この美しい完璧な演奏に、やはりひふみよでの読み物「手」を思い出す。

「手は、信頼できる。友情のように。愛のように。手のように信頼できるものって、少なくなっている。だから思うのです。というか願う」「僕らの手はあまりにすごすぎて、ボタンを押すだけになってしまうのはつまらない。堂々と、手を信頼して、行きたいです」

当たり前だけれど、小沢健二の繊細なアルペジオの美しさにもやられる。あの手は凄い。でも、すごく近くに感じる天才というか、そんな感じ。不思議な存在感の人だと思う。

モノローグ、「ビリーバー」。信じることで力が出る。信じないと力が出ない。信じる対象が問題なのではなく、信じる心が大切で、それが未来を開く、ということ。そして、Believeを日本語に直訳すると「信者」。その「信者」という言葉は日本ではどこか、嘲りの意味で使われる。信者、気持ち悪い、という風に。信じないで、どうやって力を出すのだろうか?なのにどうして、日本では、いけないことになっているのか。ということ。さらに、支配者は、世界のどこでもその土地の世論をあやつる。もしも自分が日本の支配者であったなら、過去の歴史、パターンを研究する、ということ。傾向と対策。そして、その支配をひっくり返すための勢力が宗教の形をとって向かってくると知ったら、僕は、宗教を「信じるな」と言う。信じることはいけないことだ、と。だまされるな、と。支配者は世論を操る。世界中、どこでも。それに例外はない。
信じるのは恋愛に似ている。大切なのは信じるということ。恋愛をしている人は、ビリーバーであるということ。恐れずに、信じることが、大事なのだと。

ものすごくたくさんの意味が込められたモノローグ。うさぎ!にもやはり似たようなことが、物語の中で書かれている。これは大きな、大きな、ピースだ。

そして、ビリーバーの後で演奏される「天使たちのシーン」。たゆたうように歌う小沢健二の歌。美しいカルテットの響き。真城さんの優雅なコーラス。キタローさんのあたたかいベース。美しさはこういうことを言うんだよね!と誰かと語り合いたくなるような名曲をこのタイミングで持ってくるのが小沢健二の神髄だろう。あまりに美しい。いつまでも聴いていたいような、ため息の出るような美しさ。あまりに名曲だ。

続く曲は、曲紹介で「どこ行こう どこ行こう 今」と歌ってくださいと紹介された「おやすみなさい、仔猫ちゃん」。どこ行こう、どこ行こう、今♩。うん、どこ行こう。僕らの未来は信じる事でつながるのだとすれば、どこへだって行ける筈だ!なんて、だんだんと、強い気持ちが芽生えてくる。小沢健二の歌により、心の中に、水をまいてもらってる感じだ。だんだん染みてくる感じ。嬉しさがだんだんと形になってくるような、、、そんなところでback to back!!がーん!!キター!!!うっとりするような歌と、あまりに素敵な演奏、思わず躍ってしまう。いやあ、これはファンやっててよかった、ていう選曲だなあ。ほんと、素晴らしい。炎みたいなこんな時。うんうん。うーん!!

そして、続くモノローグは笑いで包まれる「大人の世界」。ダルマインコの「宿題やった?けんちゃん、じゅんちゃん」という小沢健二によるインコのものまねを堪能できる、まさかのエンターテイナーっぷりを存分に味わえるモノローグである。そして、悲しみも喜びも、いろんな体験をしてきた僕ら大人たちが、忙しい日々の合間にこんな素敵なコンサートホールに集まって、素敵な時間を過ごせることについて祝いたいと思う、ということが語られた。そして演奏されたのは、このコンサートのハイライトの一つである「東京恋愛専科」。

甘美に奏で始める恋愛専科。美しく、切なく、甘い演奏。それが、途中から、変わる。劇的に、変わる。恐ろしく、笑ってしまうほどの小沢健二の情熱。もう、生きているって楽しいよね!いつまでも好きな人と一緒に居たいよね!歳をとって、いろんな経験をした僕らは、今とても楽しいね!という祝祭感、多幸感あふれるようなメッセージを、調子っぱずれに歌うのが素晴らしい。あんな小沢健二は過去からは信じられない。タイムマシンで犬の頃の小沢にみせてあげたら、本人もびっくりするだろうなあ。きっと「ああ、いい歳のとり方するんだな!」って喜んじゃうんじゃないかな。それくらい、小沢健二は素晴らしい。そして、会場のテンションが、あまりに強烈!

その強烈なテンションは衰えることなく、ぼくらが旅に出る理由、強い気持ち 強い愛、春にして君を想う、と続く。特に、第八夜、この後で演奏する「ある光」と同じくらい盛り上がったのが「強い気持ち 強い愛」だ。ただただ、みんなが幸せにこの歌を歌い、開放感に心を躍らせ、涙がこぼれるような美しい歌詞に、生きていることへの感謝を思った筈だ。実際、そういう、確かな、力強い演奏だった。涙をこらえて、振り絞るような歌に、歌詞に、本当に今という「時」に感謝せずにはいられない。ありがとう、小沢健二。本当にどうもありがとう。こんな素敵な演奏を聴けて、僕らは「時」を共有できている。本当に、小沢本人に、ありがとうと言いたい。いや、本当に、でっかい声で、あなたに感謝を伝えたいのだ。

モノローグ、街の身体 人の身体。インド映画と130グルーヴ。

インド映画を、理解できない自分が好き、という小沢健二が語る、インド映画特有の「輪廻落ち」の代表的な例の映画紹介。ここでも小沢のユーモアたっぷりな映画紹介が聞ける。こんな人が映画紹介したら、いろんな映画を観てしまいたい気持ちになるなあ、なんて感じ。そして、小沢が作るテンポ130の作曲について。自分の身体から生みだされる130グルーヴ。

そして130グルーヴの曲が演奏される。ファーストの名曲「暗闇から手を伸ばせ」そう、まるで全てが変わるように、僕はこのコンサートや、全てが繋がっている小沢健二の作品から、色々なことを思う。生きる事。笑い合い、生きて行く事の美しさについて。なんて考えてると、セカンドの名曲「愛し愛されて生きるのさ」になだれこむ。なんという流れ。凄過ぎる。天才。そしてステージ後ろには、若かりし頃の小沢健二が映し出される。うわー!可愛い!小沢、かわいいー!!って女の子はみんな思っただろうなあ笑 おなじみの語り部分では、お約束の大歓声でこたえる。コーラスは「我ら、時をゆく」。そう、昔の小沢健二の写真をバックに、このコーラスを聴くと、やはり「時」のつながり、美しさに感動しない訳にはいかない。愛し愛されて生きるのさ!ね、仔猫ちゃん!てなもんだ笑
更に曲は、完璧な絵に似た、ラブリーへ。もう、言葉なんかいらないという感じ。いや、んなこと言ったら、コンサートを通じて、言葉なんかいらない!って気分なのだけど。

そして、最重要曲「ある光」へとコンサートは、「時」は、進む。第五夜では、「ぶち切れたいと思います」と言って演奏をはじめた「ある光」。この曲だけ、小沢健二はエレクトリックギターで演奏した。おそらく、ニューオリンズで出会ったという、ストラトキャスター。美しく歪む、輝きあふれるコードストロークで、ある光を演奏する。

「ある光」というのはあまりに名曲で、小沢のコアなファンからはとても愛されている曲だ。だけど、この歌はどうしてもファンである僕らに「線路を降りてどこへ行ってしまうのか?」という事を思い出させ、復活後のひふみよでも、たったの16小節しか演奏されないこともあり、線路を降りて待っていた何かについても、どうもスッキリしないままだった。しかし今回、この苦悩に満ちた(?)この歌を、さらりと、しかも力強く、フルレングスで歌ってみせた。この曲だけがエレクトリックギターで、ざくざくとコードを弾きまくったことや、終盤の新しい歌詞「光よ(を?)一緒に行こう」と歌われたことで、線路を降りた後に続いた小沢健二の道、というものがはっきり見せられた、とも思えるし、それは僕らも同じなのではないかと思う。つまり「心の中にある光を信じ続けよう」そして「待つ」ことは「希望」に繋がるということを、この名曲で小沢は見せたのではないかと思う。信じて歩く。恐れずに信じる。そして待つ。戦いながら待つ。ただ、待つだけでなく、戦う。信じることをあきらめてしまわぬように。凄く簡単な、わかりやすいメッセージのようにも思える。

「眠りにつけない愛ながれる川にいつか優雅さは 惨めさの手をとり 空へ昇る 高熱放つ 炎に変わる 見つからない何か探す 僕らを照らす」

僕は、誠に勝手ながら、「東京の街が奏でる」のアンサーソングとして「ある光」があったと信じる。順番逆だろ!という異論は認めない。勝手だから。高熱放つ 炎に変わり 見つからない何かを探す 僕らを照らすのは「ある光」であったと勝手に信じることにする。そして、戦う感じが欲しくてデザインしたという手裏剣のように、友人が言った「小沢健二の歌は戦っているように聴こえる」というように、僕も、待つだけでなく、戦いながら待ちたいと思う。難しい時に、戦いながら待つ、希望を信じて。彼の音楽の美しさに耳を傾けながら。

そして「神秘的」という美しい曲が演奏される。
「神秘的 でもそれは台所の音のように 確かな時を遠く照らす」

涙を流さずにはいられない、完璧なコンサートの構成。「時」に刻まれた「音楽」。それはまるで壁画のように確かなものだと思う。

さらに時を刻むように、何度目かのメンバー紹介がなされる。この、しつこいくらいのメンバー紹介が泣けるのだけど、これはきっと行った人にしかわからない。

この後、第五夜はチャットモンチーとの共演「今夜はブギーバック」、第八夜は沖裕市さんとの「ドアをノックするのは誰だ」が演奏された。どちらも、音楽って本当に楽しい!と思える素晴らしい内容で、音楽を好きで、小沢健二の音楽を好きで、本当に良かったな、と思った。

そして、東京の街が奏でる~reprise~で、コンサートが終わる。
僕は、本当に大切なものをちゃんと信じて、大切にして、これからを笑って、生きて行きたいなという思いでいっぱいになった。ありがとう、としか言いようがないコンサートだった。ただただ、こんなに美しく、優しく、力強く、勇気が出て、希望をみせてくれるコンサートはそうそうない。小沢健二をはじめ、真城さん、キタローさん(煽りが凄かった!めっさ素敵っす)、弦カルテットのみなさん、本当にありがとう。いつまでも忘れられないコンサートを、本当にありがとう。


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第八夜。狐と子ども。

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この記事へのコメント

BrianWax
2017年12月30日 15:49
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Dominika Ver
2019年05月05日 17:35

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всем успеха...
Inessa Ver
2019年05月05日 17:35

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всем успеха...
Ariadna gop
2019年05月05日 17:35


посмотри...
Tat'jana niz
2019年05月05日 17:35

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всем пока, пока...

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