小沢健二 コンサートツアー「ひふみよ」初日レポ

小沢健二 コンサートツアー「ひふみよ」初日。
5月18日グリーンホール相模大野。

(※6月2日、本文中になんとなく写真追加)

 もう、この日をどれだけ待ちわびたことか。不在の間、どれだけ繰り返し彼の音楽を聴いたことか。どれだけネットで検索したことか。

 公式なルートで販売されたチケットは、あまりの倍率の高さに全て落選した。一般発売は、販売開始1分半で奇跡的に電話につながったのに(電話受付でこんなすぐに繋がったことはない)、すでにこの時点で売り切れていた。他のアーティストならばすんなりと諦めるのだが、小沢健二の場合はそうはいかない。どんなルートであろうが、チケットを死守しないといけないのだ。小沢健二の歌を、存在を、生で「感じたかった僕ら」は、幸運にもストレートに当選した人以外、あの手この手でチケットを死守したはずだと思う。

 当日は高まる気持ちをおさえることができなかった。仕事には集中できずに午前中が終わった。それから直前まで、車で行くか、電車で行くか迷った。なぜなら、一緒に行くのは小学3年生の僕の子どもだからだ。はじめてのライブで小沢健二(ちょっと羨ましい)。ライブ終了後は踊って、歌って疲れきってしまうだろう。電車で帰ったら眠ってしまうのは容易に想像がつく。そうなったら車の方が断然楽なのだが、駐車場に入れなかったらどうする?とか、大渋滞で間に合わなかったらどうする?とか、そんな心配が頭の中をぐるぐる回り出した。電車なら、遅れることはないだろう。そんな都合よく人身事故だってないだろうし。まあ、子どもと一緒にちょっと旅に出る雰囲気も味わいたかったから、電車で行く事にした。家から電車を乗り継いで2時間ちょっとの小さな旅だ。

 新宿に出て小田急線に乗り換える。旅の気分を演出するため、ちょうど発車待ちのロマンスカーに缶ビールを買って乗り込んだ。子どもはポカリにシュークリーム。すごい、子どもらしい組み合わせ。僕は缶ビールにサンドウィッチ。お酒を飲みながら、腹ごしらえ。そしてやはり期待と不安でいっぱいになってくる。どんな曲を歌い、どんなことを喋るのか。とか、ライフという、いわば絶頂アルバムを、どんな風に、どんな声で歌うのか。とか。だって、この時点での歌声はエクレクが最新のもの。ラブリーを、あんな囁くように歌うのかな。いや、それじゃあ合わないよな。なんて考えていると、なんと、恐れていたことが都合よく起きてしまったのだ!まさかの人身事故で電車ストップ。こんな時になんで?って思いながら、発車するのを待った。小田急め!いや、小田急が悪いわけでは全然ないのだけど、、、これも13年ぶりのライブと因果関係が??・・・ないか笑。。まあ、余裕を持って出発したから、たしか、開場の30分前には、グリーンホール相模大野に到着することができたのだけど。

 ISETANをぬけて会場につくと、子猫ちゃん!チケット譲って!と紙に書いた人が居た。あの手この手の、最後の手を使って頑張ってるのだな、と、思わず応援したい気分になる。そして入口前からは、物販のためか、行列を作っていた。僕はこの「列」に並ぶということが苦手なので、これには加わらず、眺めていた。子どもはいろいろな所を走り回ってる。喫煙所の近くに僕が居たら「ガンになっちゃうから他のとこいこ」って、小声で提案してきた。ありがとね笑

画像

会場前にて。当然子どもはボーダーです笑


 開場した後、列の最後尾に加わり、ホールの中に入った。Tシャツや、書籍を求める長蛇の列。あきらめて、席に急いだ。こんな行列になることは、容易に想像がつく。もっと早く開場すべきだ、と思ったのは僕だけではないだろう。
 席は、2階の後方だったが、そこからはステージ中央に置かれたニューオリンズで出会ったという古いストラトなどが数本見えた(気がした)。子どもは、ステージを見るなり興奮状態だった。「すごいよ!」ってうわずった声で、はじめてみるコンサート会場という光景に感動してるようだった。「はやくはじまらないかな!」「おざけんはやくでてきて」なんつって。

 18時半。開演の時間が過ぎる。この時流れていた音楽は、いかにも旅をしてきた小沢健二らしい、アフリカだかどこだかの、ものすごいグルーヴ感のある音楽だった。無意識に体が動いてしまうような、陽気な、気持ちの良い音楽たち。その後、18時45分あたりにブザーが鳴り、会場に諸注意のアナウンスが流れる。

 アフリカ音楽のヴォリュームがあがる。何回か繰り返して、また繰り返すの?と思ったその時、暗転(いや、もっと前に暗くなったっけ?記憶が曖昧だ)。そしてあの声が闇の中から聴こえてきたのだ!興奮のあまり、何を言ったのか、歌ったのか、覚えていないが、かけ声のようなものに、会場のテンションが一気に高まった。そして、ひ、ふ、ひ、ふ、み、よ!のカウントから、もう何度聴いたかわからないオルガンのイントロが流れる。流星ビバップだ。会場が真っ暗なまま流星ビバップの演奏が鳴り響く。ものすごい、わけのわからない会場のテンション。僕はきっと訳のわからない奇声を発しただろう。会場の中がひとつの生き物のようだった。なんというか、小沢健二の音楽をひたすらに待ち続けた僕らの心の中の何かが、一気に解放されているように思えた。そして、1回目のhey!hey! hey! ~♪を歌い終わったところで、演奏が止まった。鳴り止まない大歓声。とてもあたたかい拍手の嵐。これだけでも泣ける。

 闇の中、その大歓声を少しおさめるように、少し照れながら小沢健二はこう言った。「はじまれない笑」
以前と変わらない、小沢健二のその喋りに、オーディエンスは少し安心したように感じた。この一言で、小沢健二との距離が一気に近くなり、会場は一体感であふれたような気がする。

 そして、真っ暗なまま、朗読が始まった。

 おおまかな内容はこんな感じだった。

 2003年ニューヨークの大停電の出来事、その時のホームレスのおっさんの活躍、そのおっさんのように活躍するラジオ局。
大停電の暗闇の中で聴いた、電池式のラジオから流れる音楽のこと。
世の中の裂け目で、真っ暗闇の中で聴いた音楽の記憶は消える事がない、ということ。

 そうだ、この暗闇の中で聴いた流星ビバップは、絶対に記憶から消えるはずなどない。この気持ちの高まりは、記憶から消えない。そう思った次の瞬間、ひ、ふ、ひ、ふ、み、よー!のカウントで、再び流星ビバップに戻った(このカウントが滅茶苦茶かっこいい!)。小沢健二の声は太くなり、男らしさがあり、なおかつ繊細さも持ち合わせていて、歌に力がこれでもかというほど込められていた。長き不在を打ち破る1曲目に、これ以上のものはなかった。震えがとまらない。

 真っ暗なまま、ぼくらが旅に出る理由がはじまる。照明は??いつライトが点くの?って会場中が気になっているまま、演奏は続く。真っ暗なまま、演奏だけがひたすらに熱い。そして、眩しい明かりがパッとついたと同時にブレイク。バンド全員がコーラスを歌う。久しぶりに見る小沢健二の姿に、観客の興奮が炸裂する。なんといってもこの時の、歌よりもデカイ歓声が強烈だった。
 ポールサイモンの引用は少し影を潜めた。が、あのご機嫌なホーンが失われたわけではもちろん、ない。ほんと、名曲だこりゃ。切なくて切なくて胸が痛むほど。

 再び朗読。大体こんな感じ。

 鳥や猫に国境はないし、大昔は人間世界にも国境はなかったということ。旅行者の目で見ると、日本人の血筋はとても複雑に思えるということ。その中でも、メキシコ人に似ている人が(特に男性に)多いということ。ひふみよの言葉について。昔の人が音で区別した数の関係性について。想像力について。想像力は、鳥や猫に国境がないように、限りがない。ということについて。

 白根さんのドラムに導かれ、天使達のシーンが始まる。後ろのスクリーンには、ひふみよサイトで使われている映像が写っていた。もの凄く素敵な映像。鳥達が飛び、枝が風で揺れている。小沢が撮ったものなのか?それともエリザベスのものなのか?まあ、それはどっちだっていい。さきほどの朗読を映像化したような作品で、天使達のシーンとこれでもかって程シンクロした。
 この、天使達のシーンは、2010年度版といったようなアレンジで、気持ちの高まるまま、小沢健二は新しいメロディを歌っていた。もう、まさしくソウル。僕らが待ってたのはこれだったんだ!という、そんな気持ちが会場中に満たされていくのがわかった。
 “真夜中に流れるラジオからのいちょう並木、この街の物語話してる”
 いい。最高。涙が出た。

 そして新曲「苺が染まる」。

 成熟した大人っぽい曲調で、うっとりしてしまうようなメロディを持つ曲だった。歌詞は、よく聴きとれなかった。色気のある曲であったと思う。とはいえ、エクレクのそれではない。ああいう、夜とか色気ではなく、もっと、深い精神世界を漂うような、そんな曲。是非、歌詞とともに音源が欲しい。もっと、ずっと聴きたいと思った。

 そして、犬から、ローラースケートパーク。それでここで君と会うなんて予想もできないことだった!神様がそばにいるような時間!!(正に!!)そしてメドレー的に東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブローへ!みんなで歌うバラバ!過去も未来もなんもかも忘れるほどの至福の時!そして再びローラースケートパーク。ものすごく強い気持ちをぶつける小沢健二。バンドの演奏は滅茶苦茶タフで、ほんとにかっこいい。

 続いて鳴ったイントロは、ラブリー!
ここでまた、オーディエンスが狂う。また、1つの生き物と化すように、うねりまくる!!が、歌い出しのところで「みなさんがお待ちかねのこの曲は後ほど」ということで、ここでは歌詞の練習を行うことに。小沢健二らしいなぁ。。。

「それでlife is comin' back僕らを待つ」→「それで感じたかった僕らを待つ」
「can't you see the way?it's a」→「完璧な絵に似た」と変更。

 みんなで楽しく歌詞練習、歌の練習の時間になりました。ほんと、楽しい時間だった。

 みたび、朗読。

金持ち、貧乏人、幸せ、不幸せについて思うこと。
移動には音楽がつきもの。そしてどこの国でも、歌われてる内容はたいしてかわらない。
僕らが思うことはたいして変わらない。
そんな街の大衆音楽の美しさについて。自分の音楽が大衆音楽の一部であることの誇り。

 そしてアラビアンっぽい演奏がはじまる。何が始まるの?なにこれ?新曲?なんてイントロを聴いているとカローラ2だ!おおお、この曲までやるのか!大衆音楽に一番近づいたこの曲を持ってくるセンスがたまらない。ひふみよサイトでも語られたハイエース北島三郎の話がよみがえる。小沢健二は、あらゆる世界のライフを、13年の不在の中で見て、聞いてきたのだろう。そして、表現方法は違えど、ライフを実践してきたんだと、確信できた。そしてこうやって僕らの前に姿をあらわし、旅のひとつの答えを提示してくれている。旅に出る理由があったんだって思える。

痛快ウキウキ通り。

 もう、楽しくて楽しくて、みんな歌いまくって、ホールの中が熱くなりまくって、幸せでいっぱいな演奏!バンドのみなさん、ありがとう!

 そして、ちょっとニューウェーブっぽいような、ハウスっぽいようなサウンドでアップテンポなイントロが鳴る。なんだ?なにやるんだ?と思ってたら~上昇する気温のせいで、ときた!天気読みだ!!!この曲で小沢健二にのめり込んだ僕は、ひたすらにこのグルーヴに身をあずけ、踊り狂った。隣の人にぶつかり、子どもにぶつかり、汗だくになって踊った。こんなに踊ったのはいつ以来だっけ。
 そして間髪入れずに戦場のボーイズライフ、強い気持ち・強い愛と続く。会場のテンションは上昇を続け、失神する人が出るんじゃないか?というほどに盛り上がった。

ご無沙汰しておりました…

 …なんていうMCを今頃になって挟み(笑)、歌ってもらってばっかりですみません。次の曲も歌うとこがあるんで・・・歌うっていうか、ちょっと・・・なんて言って、何だろうなーなんて考えていると、ブギーバックがはじまった!ああ~スチャダラはゲストじゃないのか~、で、みんながラップを歌うことになるんだ!凄いよ、凄過ぎる!って思っていたんだけど、凄いなんて言葉は通り越した凄さがあった。ミラーボールで会場がダンスフロアーになり、踊り、ラップを歌い、狂い、とろけた。またもひとつの生き物がうごめいてるようだった。ふと横を見ると、僕の子どもも踊り狂っていた。もう、何回目のハイライトだろうか。

ずっとものすごいテンションで演奏を続ける小沢健二とバンド。
これ、平気なの?最後まで持つの?って心配してしまうほどの熱。飛び散っていかない熱。

そしてこの後で朗読。

安全のこと、安全にこだわる日本について。安全ボケの話。危険察知能力の低下を招くかもしれない住宅について。
しかし、自転車に乗った途端に、危険なんてそっちのけで、歩道をすいすい走り、一通を逆走する。夜になればオヤジが酔っぱらい運転をはじめる。どこかで死んでもいいよねーって思っているような気がする。ヒンズー教、仏教的な精神が自転車に乗ると前面に出てきてしまうのではないか?そんな国民性についてなど。

夢が夢なら。
中西さんの美し過ぎるピアノ。
あまりにも美しい、万物への畏敬の念。

そして曲はまさかの麝香!
ぶっといベースラインとしなるリズム。この曲は、エクレクに入ってる麝香の歌い方ではなく、今の小沢健二の歌い方で歌った。すなわち、太く、ソウルフルな、熱い、そんな歌い方。囁きでない麝香がどれだけかっこいいか、伝わったか、響いたか、これは実際に聴かないとわからないだろう。そして、この歌い方なら、エクレクも大好きだ、ってファンも大勢いるかもしれない。

朗読。

笑いについて。ハリウッド映画の笑いについて、そのマーケットについて。
他の人にはわからないだろうな~、って笑うのは、排他的な気もするけど、一方で連帯感を感じる。音楽にもそういうところがある。うわ、これ、なんでわかっちゃうんだろーー。という曲を書くことに挑戦しました。にんまりしてくれたら嬉しいです。との事。

…さて今、歴史が作られます。爆弾落ちます。

なに????

あ、ひーふーみーよー!のかけ声で始まった新曲。
お祭りというか、土着音楽というか民謡。小沢健二が民謡!めちゃくちゃ楽しい曲。アーヨイヨイ♪アーヨッコイショ♪ってなノリ。近所のお祭りで流れててもなんら違和感ない。というかそんな場所で歌われたらどんなに素敵だろうなという曲。

もーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいっかい!

で、2回やりました!でもこの曲、ついていけてない、お客さんがいたなぁ。首かしげて途中で座ってた。
にんまりできなかったのかな笑
タイトルは、シッカショ節ということでした。

そしてblack or whiteのイントロではない、新しいアレンジで美しさが始まった。最初のオッケーよ!!ってとこでメンバー紹介。ひとりひとりが紹介され、ソロを奏でる。このとき、小沢健二がメンバーとスタジオで再会した時のビデオがスクリーンに映し出されたが、これがとても、美しかった。変わらぬ友情なんて言うとあれだけど、、、そんな感じ。
 さよならなんて云えないよ(美しさ)は、“左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる 僕は思う この瞬間は続くと いつまでも”という歌詞があるが、これを僕は小沢健二の願望だと思っていた。すなわち、もう二度と戻れない日々にいることへの、美しさに対する願いのようなものだと思っていた。が、この日の演奏を聴いて、それは間違いだったと思った。これは僕らを包む世界の美しさへの賛美である。その美しい世界で日々を生きる僕らは、二度と戻れない日に「いつも」生きているんだと。青春時代だけが、二度とは戻れない美しい日ではないんだと。南風を待ってる、旅立つ日をずっと待ってるのは、今だって明日だって5年後だってそうなんだと。あまりにも力強い小沢健二の歌に、僕はそんなことを思った。いや、思い出したと言った方が良いか。

ドアをノックするのは誰だ
問答無用のドアノック。もう、何も言うことなどない、信じられないテンション。今日のハイライト、何回目?
ドアノックが終わると、大きな大きな拍手の中、小沢健二は「ふぅ、、、すげえ曲だな」とつぶやいた。

ある光。
コーラス部分のみ、弾き語り。
もっと歌って欲しい気もしたけど、これだけでも十分だった。ある意味一番聴きたかった歌なのだ。この線路を降りて、何が待っていたのか。それを知りたかった。だから、もしかしたらこの曲をやるとしたらもっと最初の方にやるのかなぁ、なんて想像してみたりした。この意図はなんだろう、と聴き惚れながら考えた。
 間髪入れずに「時間軸を曲げて」と告げる。新曲。これが線路を降りたら待っていた世界なのだろか?なんて考えたけど、歌詞がよく聞きとれなかった。残念無念。
 いや、もう、滅茶苦茶いい曲!曲調としては「苺が染まる」よりもエキゾチックかつポップだったような。今の小沢健二の曲って、こういう風に進化したのかと。ただし、エクレクの良さがわからない人は、わかりずらいかも。ライフを単なる王子様アルバムと勘違いしてる奴はきっと無理かもしれない。って思った。

そして曲はラブリーへ!
小沢健二は、最前線からふっと消えて、いろいろ言われてたし、たくさんの噂があったけど、このラブリーを聴いたら、そんなのどーでもいいって思えた。というか、そんな噂はアホくさくなるほど、小沢健二は躍動していた。オーディエンスも一体となり、躍動していた。腹の底からラブリーを全開で歌う小沢健二は、純粋にただオーディエンスに対して、歌を、自分の思ってることを届けるために、魂を込めていたように見えた。
 そして、次の流星ビバップの演奏とともに、小沢健二はステージから姿を消した。

 アンコールの鳴り止まない拍手。もうここで終わっても全ての観客が満足なほど、出し切ったように思えた。それほどまでにものすごい熱量だったのだ。子どもは踊り疲れて席に座ったり、でも、あーもっと、いっぱい聴きたい!って言ってたりしていた。そしてメンバーが再び出てくると、ゆっくりと「いちょう並木のセレナーデ」を演奏しはじめた。ゆったりと、ひとつひとつの言葉を確かめるように丁寧に歌う。子猫ちゃんだけじゃない、オジサンだって、オバサンだって、うっとり聴きいってしまう切ないメロディと歌詞。僕らはたいして変わらない。リズムやメロディが違うだけで、歌われる内容はたいして違わない。世界中を旅した小沢健二が見てきたものは、やはりライフなんだ。世の中は、数々のライフで成り立ってるんだと、この曲を聴きながら、さっきの朗読を思い出した。だから、最後の曲は、感じたかった僕らを待つあの曲。そう「愛し愛されて生きるのさ」で終わったのだと思う。

 終演。凄まじい熱気。余韻に浸る人もいれば、大急ぎでグッズ販売に走る人もいる。僕も子どもと一緒にグッズ販売を目指すが、もうすでに凄まじい行列。子どもにこれを一緒に並ばせるのは酷だし、グッズがなくても、心に残るものはたくさんあったのだ。僕は子どもと手をつなぎ、頭を撫で、相模大野の駅に向かった。

帰りの途中、こんなことを思った。ひふみよサイト内の読み物で、
小沢健二「僕は九八年くらいから今まで、ほとんど日本にいたことがなくて、日本語のメディアにも接することがないのです。オンラインで日本の新聞を読むことも、音楽を聴くこともないです。海外にいる邦人って仕事の都合とかで意外とオンラインでは日本語環境と切れないでいる人が多いのですが、僕は意識的に離れていて」
うさぎ「どうしてですか?」
小沢健二「そういう役割なのかなあと…。」
というところがあるのだけど、最初読んだ時は「役割?役割なの、それが?なんで意識的に離れることが役割なの??」と思った。でもこの公演を見て、聴いて、その小沢健二の役割というものがものすごく良くわかった気がした。

 小さな旅の終わりは、とても充実していた。帰りの電車では、小沢健二のファンがいろいろな話をしている。一緒に話したい!と思ったのは僕だけではないだろう。頭の中では、小沢健二の曲が鳴り響き続けた。

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